感想『赤い幻想』(四面楚歌)
 
 
 『三本足の鴉を殺し』を読んだのはいつだっただろうか。東方地霊殿のストーリーを一通り認知し、噛み砕き、飲み込み、自分なりに解釈を行っている時期であったか。「甘かった」と、そのように思わされた。著者である人比良氏がつくり出す幻想に於ける地底のストーリーは、私が日々考え、想い、つくり出していったものよりも遥かに深く、激しく、そして悲しい物であった。
 
 そうか、神を喰らうということは、神を取り込むということは、自身の生まれ変わりであると同時に、今この瞬間までの自身の終焉であり、上書きであり、上塗りであり、つまりは失うということであるのか。
 
 三本足の八咫烏を取り込んでから霊烏路空は姿だけにとどまらず思考や人格まで変わってしまったように感じたが、前作でその変わってしまったことばかりに気をとられていた私は本作で完全にその目を覚まされることとなった。変わってしまった確かに空は変わってしまった。しかしながら、その変わってしまった原因を追えば、一匹の化け猫に行き当たるではないか。
 空が蘇ったのは空のためではなかった。さとりのためでもなかった。同僚となり、友達となった化け猫がただただ隣に居た者の消失という傷を無かった事にしたいという、自身のためのものであった。蘇った空は以前のお空とは違うものとなっていた。そして燐はそれを拒絶した。これが裏切りでなくて何であろうか。火炎猫燐は飼い主である古明地さとりよりも世界よりも何よりもまず友達である霊烏路空を裏切ってしまっていたが、この裏切りを如何にして克服したのかが、前今2作を読むことでより鮮明に伝わってきた。
 
 本作のベースカラーは赤である。タイトルにもあるこの赤は太陽の色であり、血の色であり、つまりは生きとし生けるものに共通する色である。この本を手に取り、表紙に触れたとき、良い手触りだとは思ったが、それ以上のことを深く考えることはなかった。しかし、本作を読み、このベースカラーの意味を考え出したまさにその瞬間に、あの表紙はかなり異なった意味合いに形を変えた。へこみ、浮き出た模様はまさに血脈であり、赤が生、黒が死を表しているように感じたのだ。赤と黒の境界。あれは熱が失われ往く生命の落陽であるか、はたまた新たな熱が生まれる生命の日の出であるか。おそらくはその両方なのではないか。だからこそ、裏表紙に書かれた一節が俄然力を持って見えた。
 
 本作の原作となったのはシューティングゲームであり、勝ち負けの概念こそ有るが、突き詰めれば登場人物達は所詮「キャラクター」でしかない。だが、シューティングゲームという枠を脱したとするならば、そこにいる彼女たちは妖怪であり、人間であり、獣であり、神であったのだ。形あるものないものを問わず、全ては失われゆき、それは生命とて例外ではなくそれどころか最も表立って失われゆくものではないだろうか。本作は迫り来る死から目を背けることなく、「死がいずれ訪れるのであれば、一体どうするのか」というテーマを必死に考え尽くした末の、火炎猫燐の、霊烏路空の、そして著者である人比良氏が導き出した答えの一つなのではないだろうか。
 

2010.9.30 途稀
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